悲劇の国王・端宗(タンジョン)/朝鮮王朝歴史全集4

成宗を指名した貞熹王后

世祖の2人の息子は早世してしまいます。世子だった長男は19歳のときに急死し、1468年に世祖が世を去ったあとに王になった次男の睿宗(イェジョン)も19歳で亡くなります。在位はわずか1年2カ月でした。人々は「世祖が端宗を殺した祟りだ」と噂しましたが、結果的に世祖が様々な災難におそわれたことは事実です。




まさに、因果応報というわけでしょうか。
睿宗が急死したとき、本来なら睿宗の息子が王位を継ぐのが原則なのですが、世祖の正妻だった貞熹(チョンヒ)王后は、先に亡くなった長男の息子に王を継がせようとします。その息子は2人いたのですが、特に二男のほうを指名しました。それが9代王の成宗(ソンジョン)です。
これは異例なことでした。王として亡くなった睿宗の息子が王位を継げなかったからです。貞熹王后にはいろいろと思惑があったのですが、結局は成宗が王位に就いたことで彼女の政治的影響力は非常に大きくなりました。
世祖が世を去っても、今度は妻が権力を握ったというわけです。
(ページ3に続く)

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