『王女の男』の史実解説!非道な世祖(セジョ)と悲劇の端宗(タンジョン)

 

『王女の男』は、実際に起きた王位強奪事件「癸酉靖難(ケユジョンナン)」をモチーフにしている。それでは、「癸酉靖難」とはどんな出来事だったのだろうか。当時の時代背景を見てみよう。

甥の王座を狙った叔父

朝鮮王朝で名君と呼ばれた4代王・世宗(セジョン)は、自身の後継ぎに長男の文宗(ムンジョン)を指名したが、文宗は病弱で長く生きられそうもなかった。不安に感じた世宗は、文宗に早い段階から後継ぎを生むように勧めた。1441年、こうして生まれたのが端宗(タンジョン)である。
1450年、世宗が息を引き取り、文宗が5代王として即位した。王になった文宗だが、病におかされたからだは日に日に弱っていった。




弟の首陽(スヤン)が王位を狙っていることに気付いていた文宗は、幼い端宗を守るために、金宗瑞(キム・ジョンソ)など世宗が重用した臣下たちを集め、自分の死後に端宗を守ってくれるように遺言を残した。
1452年、文宗が世を去り11歳だった端宗が6代王として即位した。そんな状況となり首陽が積極的に行動を開始した。彼は自分の意をくんだ腹心たちと一緒に入念な準備を始めた。
1453年、十分な戦力を整えた首陽は、金宗瑞ら端宗を守る臣下たちを次々に殺してしまった。(ページ2に続く)

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