張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝歴史全集13

 

1689年、粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を王宮から追放しました。「仁顕王后が質素な白いチョゴリを着て、わずかなお供を連れて実家に戻る場面」……それは様々な韓国時代劇で描かれてきました。ドラマの中で仁顕王后は「自分は罪人ですから、実家に戻っても粗末な離れで暮らします」と本当に健気なことを言います。視聴者が同情するのも当然です。

写真=植村誠




国王の心変わり

離縁された仁顕王后に代わって王妃の座についたのが張禧嬪(チャン・ヒビン)でした。彼女は側室から王妃に昇格したのです。
張禧嬪は、贅沢三昧の生活に明け暮れます。息子も世子として王の後継者に指名されました。ここまでは張禧嬪の思いどおりで、これ以上はない立場になりました。
しかし、誤算がありました。それは、粛宗の浮気性です。張禧嬪が王妃になった途端に、粛宗は他の女性に目が行ってしまったのです。
彼が惚れた女性こそが、あのトンイでした。
トンイというのは淑嬪(スクビン)・崔(チェ)氏のことです。ドラマ『トンイ』の主人公になっています。ただし、このトンイという名はドラマの創作のようです。ここでは正式に淑嬪・崔氏と呼びましょう。




心変わりした粛宗は張禧嬪を冷遇して淑嬪・崔氏を寵愛するようになりました。この淑嬪・崔氏は仁顕王后を慕っていたので、粛宗に向かって「なんとか仁顕王后を戻してもらえませんか。あの方は張禧嬪の策略で陥れられたんです」と訴えます。
その願いが通じて、粛宗は張禧嬪を再び側室に降格させて、仁顕王后を王妃に復位させることを決意します。
このときも高官がこぞって反対します。すでに、粛宗と張禧嬪との間に生まれた息子が世子になっていたからです。
次の王になる世子の母親を王妃の座から引きずりおろすのは道義的にもおかしい、というのが高官たちの主張でした。
(ページ2に続く)

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