中宗の最期
さらに、「朝鮮王朝実録」の記述は続く。
◆1544年11月13日の記述
医女が出てきて、『昨夜は二更(夜9時から11時の間)に少しお休みになられ、三更(夜11時から午前1時の間)には熱がひどくて、野人乾水(漢方薬の一種)をさしあげましたが、熱が下がりませんでした。昼から夕方まで、左手と右手の脈は昨日と変わりがありません』と言った」
それまでの文脈からして、「朝鮮王朝実録」に記載されている医女がチャングムをさすのは明らかだ。
本当にチャングムは中宗のそばにピタリと張りついていた。
中宗は1544年11月14日の午後から昏睡状態に陥り、11月15日の夕方に亡くなった。
診察と看病を続けたチャングムは、どれほど悲しんだことだろうか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
中宗(チュンジョン)の正体!嫌々王になって最後まで影が薄かった