燕山君(ヨンサングン)はどれほど最悪な国王だったのか

 

1494年に9代王の成宗(ソンジョン)が世を去った。次の王に就いたのは、成宗の長男の燕山君(ヨンサングン)だった。18歳で即位した彼は最初から暴君ではなかったが、王政を続けるうちに徐々に堕落していき、ついには暴君の本性を現した。




威厳が低下した国王

燕山君はやがて王政を放棄して酒池肉林の生活に溺れるようになった。
国の財源は日に日に衰えていった。そして、その帳尻を合わせるために、庶民は過酷な税金を取られてしまった。
当然ながら、人々は燕山君の治世の終了を願い、臣下たちは自分に被害が及ばぬよう口をつぐむばかりであった。
燕山君に露骨に不満を示す臣下たちも現れ、それを表す事件も起こった。
いつも通りの酒宴が行なわれる宮中で、李世佐(イ・セジャ)という高官が燕山君の服に酒をこぼしたことがあった。
「殿下、申し訳ありません。手元が狂ってしまいました」
李世佐は朝鮮王朝の名門中の名門の出身で、大臣の地位にあった。王の服を汚すなど本来なら許されない行為だが、その場にいた臣下たちは誰ひとり、李世佐をとがめなかった。それは、燕山君の王としての威厳の低下を意味していていた。




なおさら、燕山君の怒りが凄まじかった。
「貴様ら、無礼を働いたこいつをなぜとがめない! この罪人をすぐとらえるのだ」
王命を受けた者たちは、しぶしぶ李世佐をとらえた。
(ページ2に続く)

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