燕山君(ヨンサングン)の母は死罪になった/朝鮮王朝廃妃(ペビ)列伝1

 

朝鮮王朝時代は一夫一婦制であり、国王もその制度をしっかり守っていた。つまり、在位中には正室が1人しかいなかった。その正室の中で、廃妃(ペビ)になった女性が何人もいる。特に、朝鮮王朝の歴史の中で一番最初に廃妃になったのが尹(ユン)氏だった。




廃妃の理由

9代王・成宗(ソンジョン)は、最初の正室を病気で亡くした後、側室の中から次の王妃を選んだ。それが尹(ユン)氏だった。
尹氏は、自分が側室から王妃になりながら、今度は成宗の側室に対して大変厳しい目を向けるようになった。
特に、成宗に気に入られている側室の毒殺を狙った。そのために、部屋にヒ素を持ち込んでいた。
偶然にも成宗がそのヒ素を見つけてしまった。これによって、尹氏は成宗から遠ざけられて寂しく暮らした。
そのうちに精神が錯乱してしまったのかもしれない。久しぶりに成宗が訪れたときに、なんと成宗の顔を激しく引っかいてしまった。




これによって、尹氏は朝鮮王朝で初めての廃妃となった。
実家に戻った尹氏の暮らしは厳しかった。王宮の中には尹氏に同情する声もあり、「なんとか元王妃の暮らしを支えてあげたい」という声も広まった。
(ページ2に続く)

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