わずか七日だけ
クーデターを成功させた高官たちは、中宗に対して妻の離縁を要求してきた。それは、なぜなのか。
実は、端敬王后の父は燕山君の側近の慎守勤(シン・スグン)だった。慎守勤は、高官たちに殺されており、端敬王后が恨みを持っていることは間違いなかった。さらに、燕山君の正室だった慎(シン)氏は、端敬王后の叔母であった。
実際、端敬王后の身内には燕山君の関係者が多かった。それゆえ、高官たちは、燕山君一派の残党たちが端敬王后を担いで復讐に立ちあがるのではないかと恐れた。よって、中宗に端敬王后の廃妃を強く求めたのである。
国王になったからには、中宗はそれをきっぱり拒絶することもできたはずだ。なにしろ、愛する妻であり、命の恩人でもあった。
当初は拒んでいた中宗だが、最終的には受け入れざるを得なかった。それによって、端敬王后は廃妃となってしまった。
彼女が王妃であったのはわずか七日だけだ。
『七日の王妃』というタイトルは、歴史的にも本当に意味が深いのである。
構成=「韓国時代劇アンニョン」編集部
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