謎の王命を語る粛宗(スクチョン)

 

粛宗(スクチョン)とは誰か。
生没年は1661年~1720年。1674年に19代王として即位。政治的な業績も多かったが、女性問題でよくトラブルを起こして王宮内を混乱させた。1689年に、仁顕(イニョン)王后を離縁して、側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に昇格させているが、1694年には再び仁顕王后を王妃に戻して張禧嬪を側室に降格させた。1701年には、仁顕王后を呪詛(じゅそ)した罪で張禧嬪を死罪に処した。また、時代劇『トンイ』の主人公になった淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏を側室にしたことでもよく知られている。

aGd6BvDaNDb7W2k1504586102_1504586146




本当によくしゃべる王

粛宗に会った。
彼は、自分の墓である明陵(ミョンヌン)の中を歩き回っていた。ときおり、木々の中に隠れる素振りも見せた。近づいて声をかけると、かなり驚いていた。
「こんなところで何をなさっているのですか?」
「あっ、見られてしまったか。実は、どんな美人が余のお墓参りに来るのかが気になって
仕方がないのだ」
「女好きという評判は昔のままなんですね」
「何を申しておる。余は決してそのような王ではなかった」
「『朝鮮王朝実録』を読むと、あなたほど発言が多く載っている王は他にいませんでした。本当によくしゃべる王だったんですね」
「民の生活を向上させるための政策を数多く実行したので、その説明を高官たちにしなければいけなかったからな」




「それは表向きですね。実際には何度も女性問題を起こしてしまい、その弁明のためにしゃべり続けていたという印象を持ちましたが……」
そう見抜かれて、粛宗は苦笑いを浮かべた。
「まあ、そういう面があったのも事実かな。そちはよく調べておるのー」
(ページ2に続く)

20代王・景宗(キョンジョン)/朝鮮王朝国王列伝20

奇妙な三角関係!粛宗(スクチョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)と仁顕王后

〔特集〕張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の心を奪った日々!

張禧嬪(チャン・ヒビン)に惚れ抜いた粛宗(スクチョン)/朝鮮王朝歴史全集12

張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の息子を産んで起こった騒動とは?




固定ページ:

1

2 3

関連記事

ページ上部へ戻る