朝鮮王朝の初代王物語(中編)

朝鮮王朝が建国

李成桂は反逆者となった。
それを官軍は許さず、いたるところで戦闘が始まった。もはや退路のない李成桂たちは果敢に戦い、彼らの勢いは官軍を上回った。
最後に、都に戻ってきた李成桂の軍勢の前に崔瑩(チェ・ヨン)将軍が立ちはだかった。高麗最高の武将と言われる2人の対決だったが、軍配は李成桂の側にあがった。
勝利した李成桂は、高麗の完全なる実権を握った。
李成桂は高麗王を追放し、自分の都合のいいように動く恭譲王(コンヤンワン)を王位につけた。
しかし、黒幕でいることよりも自ら王になりたいと思い、1392年に即位した。太祖(テジョ)の誕生である(以後、李成桂を太祖と表記)。




当初、太祖は高麗の国号と法制をそのまま使って国を治めようとしたが、多くの人々が高麗を懐かしんで自身に従わないと感じ、国号と首都を変える決意をした。
国号は「朝鮮(チョソン)」となり、首都は1394年に漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移った。
国教も仏教から儒教に変わった。
その結果、仏寺はことごとく破壊された。そのために、仏教を志す者たちは山林の中に身を隠し、ひっそりと暮らすしかなかった。現在の韓国で仏寺が山林の中に多く残されているのはこの影響だ。(ページ3に続く)

朝鮮王朝の初代王物語(後編)

朝鮮王朝の国王はどんな存在だった?

朝鮮王朝の後期になぜ王の子供が減ったのか



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