李成桂(イ・ソンゲ)はこうして初代王の太祖(テジョ)になった

 

高麗王朝の末期、1335年生まれの李成桂(イ・ソンゲ)は、最上位の将軍にのぼりつめていた。1388年、中国大陸の明(ミン)と高麗との間に領土紛争が起こった。高麗王は重臣たちを集めて善後策を協議した。その結果、李成桂は明への出兵を強く要請された。

4つの理由

李成桂(イ・ソンゲ)は大反対した。
彼は必死に理由を説明をした。
「侵攻に反対です。第一に、小国が大国に兵を向けるべきではありません。第二に、夏の暑さで兵の士気が下がっています。第三に、雨の多い時期の遠征では、兵の間で伝染病が発生しやすくなります。第四に北方に兵力を向ければ、南方の倭寇に対する防衛が手薄になります。以上の4つの理由で出兵に反対します」
要するに、李成桂は「小さい国が大国にさからってはいけない」ということを一番言いたかったのだ。




しかし、高麗王は李成桂の声に耳を傾けなかった。
「いますぐに兵を北に向けよ!」
このような王命が下り、李成桂は意思に反し、遠征軍を率いて出兵せざるをえなくなった。
(ページ2に続く)

王朝の基盤を作った太宗(テジョン)/朝鮮王朝歴史全集2

朝鮮王朝の初代王物語(前編)

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