その後の18年間
江華島に流された光海君の一家。
王宮時代の栄光はすでになく、質素に暮らさざるをえなかった。
そんな生活に嫌気がさした息子夫婦は島からの逃亡を図った。
しかし、それはすぐに発覚した。結局、息子夫婦は自決せざるを得なくなってしまったのである。
このことによって、柳氏は絶望して慟哭(どうこく)した。やがて、彼女は首をくくって死んでしまった。
ただし、病気で亡くなったという説もある。
このように、最期の状況がはっきりしないほど柳氏の死は謎めいていた。
たった1人になってしまった光海君。その後、彼は済州島(チェジュド)に流されてしまった。
済州島と言えば、極悪人が島流しにあう最果ての地である。そんなところまで島流しにあったことで、光海君の絶望は深まった。
彼は嘆きながら済州島で暮らしたのだが、意外に水と空気が合ったようで、1641年まで生き続けた。
享年は66歳だった。
クーデターで追放されたから18年間も生き延びたのである。
外交が巧みだった光海君(クァンヘグン)は暴君というよりも名君?
仁穆(インモク)王后はどうしても光海君(クァンヘグン)を斬首にしたかった!