ドラマ『雲が描いた月明り』の主人公になったイ・ヨンは孝明世子(ヒョミョンセジャ)のことだ。彼は1809年に生まれた。父は23代王・純祖(スンジョ)だった。果たして、孝明世子はどのように早世してしまったのか。
突然の病魔
孝明世子は、若くして頭脳明晰な賢人だった。
早くも18歳のときには、父の純祖に代わって代理聴政(テリチョンジョン)を行なった。これは、摂政として政治の指導者になったことを意味している。
巧みな人事活用、庶民のための刑罰改善、宮中行事の整備などで成果を発揮した若き世子は、順調に代理聴政をこなして将来の名君を予感させたのだが、突然の病魔に襲われてしまった。
それは、1830年の閏4月22日のことだった。
孝明世子は喀血して病床に伏すことになってしまった。
症状に合うように調合された漢方薬が次々に処方されて、孝明世子は安静を保った。
4月27日になると、純祖は金祖淳(キム・ジョスン)と趙萬永(チョ・マニョン)を呼びつけた。金祖淳は純祖の岳父であり、趙萬永は孝明世子の岳父である。
なぜ純祖がこの2人を呼んだのか。
その理由は謎なのだが、孝明世子の病状を心配した純祖が、政治の影響力が強い2人に現状を認識させる必要を感じていたのかもしれない。
王家の治療チームの中に、漢方薬に詳しい官僚も加えられた。
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イ・ヨン(孝明世子)が長生きなら朝鮮王朝の歴史は変わっていたか
パク・ボゴムが演じたイ・ヨン(孝明世子)の「駆け抜けた人生」
〔解説〕イ・ヨン(孝明世子)の長男が憲宗(ホンジョン)として即位!