「朝鮮王朝三大悪女」にはオモテとウラがある!

 

韓国時代劇によく登場する女性たち。その中でも、悪行に手を染めた3人を「朝鮮王朝三大悪女」と称している。張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)の3人である。しかし、これはあくまでもオモテの三大悪女。実は、もっとワルだったウラの三大悪女もいるのだ。

ドラマ『華政』ではキム・ヨジンが金介屎を演じた(写真=韓国MBC『華政』公式サイトより)




オモテの3人とは?

物事には何でもオモテとウラがある。
「朝鮮王朝三大悪女」にしても、オモテよりもっと巨悪だったウラがあるのだ。それを明らかにしたいのだが、最初にオモテの3人を見てみよう。
張緑水は、暴君として知られた燕山君(ヨンサングン)の側室であり、王をそそのかして悪政を行ない、庶民を苦しめた女性である。
なにしろ、張緑水によって朝鮮王朝の金庫の財宝が空っぽになったと言われており、そのために苛酷な増税までしたというのだから、庶民にとってはたまらない。
燕山君が廃位になった後、張緑水は首をはねられて、その遺体に向かって庶民が石塚ができるほど石を投げたという。それほど憎まれた女性だった。「朝鮮王朝三大悪女」の中に入ってしまうのも当然かもしれない。
二番目の鄭蘭貞は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后の手先となった女性である。




文定王后は、自分が産んだ王子を国王にするために、中宗の二番目の正室が産んだ世子(セジャ)を殺害しようとしたが、その際に先兵として動いたのが鄭蘭貞だった。
中宗が亡くなった後に世子は仁宗(インジョン)として即位したが、わずか8カ月で急死している。このときは文定王后が毒殺した疑いが強く、鄭蘭貞も陰で動いていたのかもしれない。
文定王后は、自分の息子が明宗(ミョンジョン)として王になって以来、女帝として悪政を繰り返したが、その際にも鄭蘭貞は様々な陰謀に関与したと言われている。
1565年に文定王后が世を去った後には、それまでに多くの恨みを買っていたことに脅えて地方に逃亡したが、結局は自害せざるを得なくなってしまった。
三番目の張禧嬪は、いまさら説明が必要ないほど有名な女性である。
一介の女官から王妃まで上り詰めたというサクセスストーリーは、ドラマの題材としても人気を集め、一時期の韓国テレビ界では「企画に困ったら張禧嬪を使え」という言葉が生まれたほどだ。
ただし、彼女の場合は自ら悪事を働いたという証拠はなく、わがままな性格が誇張されて「朝鮮王朝三大悪女」に入れられてしまった要素も強い。そういう面では気の毒な悪女なのかもしれない。




以上の女性たちが「朝鮮王朝三大悪女」のオモテの3人である。それでは、ウラの3人とは誰なのか。
1人目は、鄭蘭貞を手先として動かした元締めの文定王后である。
彼女は、中宗の三番目の正室として王宮に入ると、中宗の気に入っている側室を徹底的にいじめ抜いたことでもよく知られる。性格的には、とても嫌われるタイプの女性であった。
結局、文定王后は自分が産んだ明宗を王にするために、明宗の異母兄にあたる仁宗を毒殺した疑いが強い。さらには、明宗が幼くして即位したことをいいことに自ら政治を仕切り、賄賂(わいろ)政治で朝鮮王朝を混乱に陥れている。
当時の朝鮮半島は干ばつの被害が大きかったのだが、文定王后は何の対策も立てずに飢餓に苦しむ庶民を見殺しにしている。しかも、当時の朝鮮王朝では仏教が迫害されていたのだが、僧侶と肉体関係まであったと伝えられている。
まさにやりたい放題。問答無用で文定王后を「ウラの三大悪女」に入れたい。
(ページ2に続く)

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