猜疑心も強くなっていた
医官たちが「腫れ物が出ている患部を診察させてください」と言っても、正祖は許可しなかった。
たまらずに、内医院(ネイウォン/王族を診察する医院)の高官だった李時秀(イ・シス)が言った。
「腫れ物の患部を診察すれば処方について話し合えるのですが、医官たちがみな診察できないと申しております。その者たちがいつも診察できるようにされるのがよろしいかと存じますが……」
こう進言しても、正祖は答えをはぐらかすような対応を見せた。
なぜ、正祖は“患部を医官に見せない”という不可解な行動を取ったのか。
ここでもやはり、毒殺されることを警戒していたからに違いない。正祖は内医院の役人を度々交代させていたが、それも彼らを信用していなかったからだろう。暗殺される危機を何度も乗り越えてきた正祖であったが、内医院の官僚に不信感をもつほど猜疑心も強くなっていたのである。
後に正祖は腫れ物の患部の診察を許可したが、その際にも自分が絶対に信頼できる医官を同席させることを忘れなかった。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=『実録!朝鮮王朝物語 「トンイ」から「イ・サン」編』
朝鮮王朝実録を読む4/「正祖毒殺疑惑」
英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8
英祖(ヨンジョ)は思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めるとき何を語ったか