12代王・仁宗(インジョン)が29歳で即位したのは1544年だった。彼の在位はわずかに8カ月。朝鮮王朝の27人の王の中で一番短い。若い仁宗がなぜそれほど短命だったのか。実は、継母の文定(ムンジョン)王后に毒殺された疑いが濃いのだ。
内臓の損傷
文定王后は常に仁宗の命を狙っていた。
それは、自分が産んだ王子を仁宗の次に早く王位に就かせるためだった。
結局、文定王后は裏で手を回して仁宗に毒を盛った。
1545年6月28日、病状が悪化した仁宗を侍医が診察してこう言った。
「内臓に損傷ができ、それが病気の元になっていると思われます」
この場合の「内臓の損傷」とはどういう意味なのか。
毒を盛られた場合にも内臓が損傷することは十分起こりうる。それなのに、仁宗は調合された薬を飲まなかった。
侍医の一人が次のように重臣たちに報告した。
「殿下からお言葉がありました。『どんな熱が余のからだに入ってきて、行ったり来たりしているのか。これは、暑さのせいでこうなったのか』とのことでした。そこで私は『暑さが原因で熱が出たものと思われます。ただ、お薬を召し上がらないと治るきざしがなく、そのことをとても心配しています』と申しました。すると殿下は『わざと飲まないのではなく、とても苦しくて飲めないだけだ』とおっしゃいました」
この時点では仁宗もまだ普通の会話ができた。
しかし、以後は容態が極度に悪化した。(ページ2に続く)
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