16代王・仁祖(インジョ)/朝鮮王朝国王列伝16

 

生没年/1595年~1649年
在位/1623年~1649年

1623年、15代王・光海君(クァンヘグン)の甥がクーデターを成功させて16代王・仁祖(インジョ)として即位した。仁祖はまず、光海君時代の官僚から官職を剥奪した。そのうえで、混乱した国政を早く安定させることに努めた。その過程で再び反乱が起き、国内は騒然となった。




庶民に不安をもたらした王

反乱の首謀者は、なんとクーデターを成功させた功臣・李适(イ・グァル)だった。なぜ、彼はあえて王朝に反旗をひるがえしたのか。
実は、李适は独自の武力を持っていて、彼に恐怖心を抱く者が多かった。その中の一部は、李适に不当な罪をかぶせて失脚させようとした。この動きを察知した李适は、機先を制して大規模な反乱を起こしたのだ。
この騒動の余波で、仁祖は一時首都から避難せざるをえなかった。反乱軍が首都を占拠するのは、朝鮮王朝になってから初めてのことだった。結果的に、仁祖は反乱軍を討伐することに成功するが、王が都を捨てて逃走したという事実は庶民の心に不安感をもたらした。
1627年、「李适の乱」が平定されて3年が経ったが、未だに国政は不安定で、国防も手薄だった。そうした隙を狙われ、後金(後の清)に攻撃された。




仁祖はようやく和睦に持ち込んだが、1636年に再び清の大軍に攻められ、1637年に屈服した。息子たちは清に連行され、自身は清の皇帝の前に頭を下げる屈辱を味わった。
仁祖は清への恨みを募らせながら、1649年に54歳で亡くなった。

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