明宗(ミョンジョン)はどんな国王だったのか

 

12代王・仁宗(インジョン)の後を継いで、13代王として即位した明宗(ミョンジョン)。彼は、自分が思うような政治ができなかったのだが、果たしてどんな人生を歩んだのだろうか。

世子の命を狙った文定王后

明宗は、父親が11代王・中宗(チュンジョン)で、母親は中宗の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后だった。
この明宗が生まれたのは、1534年である。中宗は1506年に即位しているので、明宗は中宗が即位してから28年目に生まれた王子であった。
文定王后は、自分の息子を王にしたいと思っていたが、明宗には母親違いの兄がいて、その兄が世子(セジャ)になっていた。




それでも息子を王にしようとした文定王后は、世子の殺害を企てるが、すべて失敗に終わってしまう。その結果、世子は12代王・仁宗として即位するが、文定王后はまだ諦めてはいなかった。
結局、仁宗は即位してからわずか8カ月で世を去った。彼が急死したことについては、文定王后に毒を盛られたのではないかと言われている。(ページ2に続く)

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