文定(ムンジョン)王后に毒殺された疑いが強い仁宗(インジョン)の無念!

嘆き悲しんだ民衆

仁宗の正妻だった仁聖(インソン)王后。心配して自分の指を切って血を差し出そうとした。彼女なりの「願掛け」だった。
「そういうことをなさっても病状の改善につながりません」
重臣たちは涙を流しながら仁聖王后の奇行を止めた。
結局、仁宗の病状は回復せず、1545年7月1日に亡くなった。
「朝鮮王朝実録」は仁宗についてこう記している。




「殿下は資質が純粋で、冷静で温厚な方だった。学問にも通じていて孝道も格別だった。世子のときから終日しっかりと腰を落ち着け、言動も適切だった。即位後は政事に尽し、理にかなった行ないをされた。ある時は御筆で上奏文にお答えになったが、その言葉と意味がとても優れていて、人はみな驚嘆した」
「病が重くなってからは、都の人々が王宮の門の前に次々と集まり、寝ないで徹夜して安否を気づかい、事情がわかりそうな人をつかまえて『殿下の病状はいかがでしょうか』と尋ねていた。亡くなった日には誰もが路上で慟哭(どうこく)して、その嘆きと悲しみはまるで自分の父母を失ったかのようだった」(ページ3に続く)

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