どの王朝にもかならず裏を仕切る女官たちが存在し、厳しい権力闘争を繰り返してきた。日本では「大奥」、そして、朝鮮王朝では「内命婦(ネミョンブ)」である。朝鮮王朝の女官たちの組織をのぞいてみれば……。
儒教理念を土台とした女官制度
中国の歴代王朝も皇帝を頂点にしながら、その裏では世継ぎをめぐって正妻や側室の争いが絶えなかった。
それは、江戸時代の「大奥」も同じ。権力は男性が握っているとしても、それを裏で操るのは女性だった。その縮図は今も昔も変わらない。
もちろん、朝鮮王朝でも女官同士の激しい権力闘争があり、それが王朝の盛衰にも大きな影響を及ぼしてきた。
朝鮮王朝では日本の「大奥」にあたるものを「内命婦(ネミョンブ)」と称した。ここでは、儒教理念を土台とした女官制度が取り入れられていた。
モノを言うのは、なんといっても品階。これによって、身分と職種が決定された。名称を見ると、上の「一品」から下の「九品」まで9種類あり、それぞれに「正」と「従」に分かれていた。この場合、「正」のほうが序列が上に当たる。具体的にいうと、「正一品」から「従九品」まで18ランクの序列があった。
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