中宗の責任
中宗は周囲にかつがれて王になったので、クーデターを成功させた高官たちに頭があがらない。
それなのに、高官たちは中宗に対して「王妃と離縁してほしい」と迫ってきた。
王妃の端敬(タンギョン)王后は燕山君の妻の姪であり、父親も燕山君の側近だったからだ。端敬王后の親族には燕山君と関係が深い人があまりに多かった。
しかし、中宗は承服できない。彼は、「自決しようとしたときに助けてくれた愛妻となぜ別れなければいけないのか」という心境だった。
中宗は国王なのだから、臣下が何を言ってきてもつっぱねればよかった。
ところが、中宗は気が弱いというかはっきりしない性格で、最後は端敬王后の廃妃に同意してしまった。
そんな中宗は端敬王后を離縁したあと、二番目の正妻として章敬(チャンギョン)王后と再婚したが、彼女は息子を産んですぐに亡くなってしまう。
そこで、中宗は三番目の王妃として文定(ムンジョン)王后を迎えた。これが朝鮮王朝にとって不運だった。なにしろ、文定王后というのは、朝鮮王朝でも一番の悪女といえるような人で、平気で非道なふるまいを繰り返した。
そんな悪行を中宗は見て見ぬふりをした。そういう点で、中宗にも朝鮮王朝の政治を腐敗させた責任の一端がある。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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