粛宗は仁顕王后を廃妃にするとき何を語ったか

 

朝鮮王朝19代王の粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は1688年に王子を産んだ。粛宗にとって待望の嫡男だった。その翌年、粛宗は高官たちを前に驚愕するようなことを言いだした。

妬みが強すぎると王妃を非難

驚愕するようなこととは、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后を廃妃にしようとしたのだ。1689年4月21日、粛宗はこう語っている。
「世も末になればなるほど人々の心もすさんでくるものだが、なぜ余がこのような状況を甘んじて受けなければならないのか。何よりも、中宮(チュングン/王妃のこと)は妬みが強すぎるのだ。禧嬪が最初に淑媛(スグォン/側室の品階の1つ)になったときから中宮の妬みがひどくなって、余は閉口するばかりだった」




「中宮は余にこう言ったのだ。『夢の中で先王(18代王・顕宗〔ヒョンジョン〕)と先后(明聖〔ミョンソン〕王后)に会ったのですが、お二人は私にこうおっしゃいました……内殿(ネジョン/王妃のこと)と貴人(キイン)/張禧嬪とは別の側室)は福と子供に恵まれるでしょう。けれど、淑媛(張禧嬪のこと)は子供がいないだけでなく、福もないのです。それだけではなく、長く宮中にとどまっていれば、良からぬ人々と結託して国にわざわいをもたらすでしょう』と」
(ページ2に続く)

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