悲嘆にくれた貞明公主
御乗馬が町に出たときは、誰も乗っていなくても民衆は頭を下げて礼を示さなければならなかった。
洪柱元が仁穆王后の命令で御乗馬に乗ったのだが、本来なら国王が乗る馬に王族ではない洪柱元が乗ったことは、重臣たちの間で問題となった。
本来なら、御乗馬を勝手に使った仁穆王后は処罰の対象となるはずだったのだが、仁祖は彼女を不問とした。いったいなぜなのだろうか。
クーデターで光海君から王位を奪った仁祖だが、野望ではなく大義のために光海君を追放したことを証明できなければ、王としての正統性を発揮できなかった。反乱のように行なったクーデターには、それ相応の大義名分が必要だったのである。
その大義名分を与えてくれるのが、仁祖の祖父・宣祖の正室だった仁穆王后だった。
王族の最長老女性だった仁穆王后のお墨付きがもらえれば最高の大義名分になるため、仁祖は仁穆王后に尽くす必要があった。そのために、彼は仁穆王后の娘であった貞明公主に広大な土地を与え、その結婚も盛大に支援した。
貞明公主にとって、仁穆王后は最高の母親であった。それだけに、1632年に仁穆王后が48歳で世を去ったとき、その悲しみはあまりにも深かった。
「私はこれからどうやって生きていけば……」
悲嘆にくれた貞明公主を支えたのが、夫の洪柱元だった。
2人は仲睦まじく暮らし、8人の子供を育てた。前半生は悲劇が多かった貞明公主だが、後半生は幸せを噛みしめることが多かっただろう。その貞明公主は、晩年に夫を見送った後、1685年に82歳で世を去った。
文=「韓国時代劇アンニョン」編集部
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