英祖の失望
猜疑心が強すぎる性格のせいなのか、英祖は一転して思悼世子の反省文に心がこもっていないと思い始めた。
「よく読むと、空虚な言葉を並べただけではないか」
思悼世子の反省文に対して英祖はそう疑った。
一度そう思ってしまうと、次々に疑念が沸いてきた。思悼世子に関する過去の悪評も英祖の心に再び甦ってきた。
英祖は息子を呼んで弁明させることにした。
その場で思悼世子は、父が期待するような改心の言葉を述べられなかった。それどころか、しまいに思悼世子は泣き崩れる有様だった。
その姿を見て英祖は大いに失望した。
ついに思悼世子は極度に緊張しすぎて英祖の前で気絶してしまった。急いで医官が呼ばれ、緊急の診察を受けた。それでも状態が良くなかったので、思悼世子は駕籠(かご)に乗せられて帰宅した。
この出来事は、思悼世子に対する英祖の気持ちを決定的に悪くした。結局、思悼世子が書いた反省文は逆効果となってしまった。
思悼世子が、英祖によって米びつに閉じ込められて餓死するのは、それから5年後のことだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
記事提供:「朝鮮王朝オッテヨ」
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