朱蒙(チュモン)はどんな人物だったのか

 

朱蒙(チュモン/紀元前58年~紀元前19年)は現在の韓国でも大変な尊敬を集めているが、その人物像は神秘に包まれている。なにしろ、高句麗(コグリョ)の建国神話で朱蒙は、柳花(ユファ)という女性が産んだ卵の殻を破って出てきたことになっているからだ。




弓の名人

卵から生まれた、という誕生秘話は、高句麗の後の人間が創作したと考えられる。朝鮮半島では新羅(シルラ)や伽耶(カヤ)でも始祖が卵から生まれたという言い伝えがあり、古代国家で始祖に箔を付けるためによく用いられた伝説なのだ。
その名前にも、不思議な暗号が込められている。
朱蒙が住んでいた古代国家・東扶余(トンプヨ)では、弓の名人を「朱蒙」と言い、彼も弓が巧みだったのでその名が付いたとされている。
しかし、ここで使われている漢字の「蒙」とは、“道理を知らない”“無知”という意味で、人を卑下する言葉だ。また、「朱」を“赤い色”と考えれば、「朱蒙」とは赤い顔をした無知な人、という意味になってしまう。これは明らかに異民族を称する言葉ではないだろうか。
そういえば、漢字で異民族を意味する「夷(えびす)」は、弓と人という文字が入っている。名前の漢字を手掛かりに考えれば、朱蒙は北扶余にとって遠くからきた異民族だったと推定できる。それでも、たぐいまれな才能の持ち主で、王家の一員になったのではないだろうか。




高句麗の建国神話によると、朱蒙は東扶余の王の養子になっていたのだが、王の実子に命を狙われて出国し、肥沃な卒本(チョルボン)で高句麗を興したことになっている。この点に関しては韓国でもいくつかの説があり、事実として証明できるものはない。
ただし、国を追われて新天地をめざした人間が、見知らぬ土地でそう簡単に国を興せるとはどうも考えにくい。
歴史書『三国史書』の「百済本紀第一」には、卒本にやってきた朱蒙が現地の王と親しくなったという話が出てくる。それによると……。
「王に3人の娘がいたが息子はいなかった。王は朱蒙を見て只者ではないことを見抜き、二番目の娘と結婚させた。この婚姻を足掛かりにして、朱蒙は王位を継いだ」
特別な才覚を持つ朱蒙のことだから、王になってから周辺地域を次々に領土に組み入れることは可能だっただろう。それを基盤にして高句麗を建国したということも十分に考えられる。
建国後の活躍ぶりは、『三国史記』にも詳しく出ている。




朱蒙は隣接する沸流国を訪ねて行き、そこを統治する松譲王(ソンヤンワン)に会った。そして、朱蒙は堂々と言った。
「私は天帝の子である。この近くに都を築いた」
すると、松譲王はいかにも不愉快そうに言った。
「私はここの代々の王である。この土地に2人の王はいらない。君は都をつくったばかりだそうだが、むしろ私に従ったらどうか」
(ページ2に続く)

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