悪政が招いた結果
私腹をこやす悪徳官僚が跋扈(ばっこ)する悪政が続く中で、不運にも16世紀なかばには凶作が続いた。人々の暮らしは困窮したが、もはや政治が民を救済することはできなかった。
死もまた社会還元、という考え方が当時の朝鮮半島にあろうはずもないのだが、現実的には文定王后の死が人々の困窮を救う唯一の方法であったことは確かだ。
1565年、文定王后は64歳で人々の怨嗟(えんさ)が満ちあふれたこの世を去った。こうなると、取り巻きの立場は一気に危うくなる。文定王后の威光にすがっていた尹元衡と鄭蘭貞は逃亡した末に自決せざるをえなくなった。それは「自業自得」という言葉が象徴するように哀れな死だった。
母と叔父の死を明宗はどのように受け止めたのだろうか。
このとき彼は31歳。混乱した国政を立て直すことを期待されたのだが、もはや明宗には生気が残っていなかった。
それほど母の悪政は明宗の精神と肉体を苦しめた。
1567年、明宗は33歳で亡くなった。母の死からわずか2年後だった。
あまりに早すぎる明宗の死……母の悪政が招いた結果であることは間違いない。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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