不可解な昭顕世子(ソヒョンセジャ)の急死/朝鮮王朝歴史全集11

仁祖が世子を毒殺?

昭顕世子の死因には不可解なことが多く、「仁祖が昭顕世子を毒殺したのではないか」という可能性が高いと思われます。
その根拠になっていたのが、仁祖が昭顕世子の弟の鳳林(ポンニム)に王位を譲りたがっていたという事実です。
実は、鳳林も同じく清の人質になりましたが、彼は昭顕世子とは違って清を憎み続けていました。その点では父と同じでした。




屈辱を晴らしたいと考えていた仁祖が、昭顕世子より鳳林に後を託したくなったというのは、十分に考えられることです。
実際、仁祖は昭顕世子の葬儀をひどく冷遇しました。世子という立場だったのに、まるで末端の王族のような扱いでした。
しかも、本来なら昭顕世子の息子が世子を受け継ぐのが正統なのに、仁祖は昭顕世子の息子3人を流罪にして、世子を鳳林に変えてしまいました。これは、王位継承の原則を引っ繰り返すルール違反です。
(ページ3に続く)

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