奇一族は「我が世の春」
奇皇后は強硬だった。
人事権を握って権力を行使できる立場だった彼女は周囲の反対も無視して、アユルシリダラを強引に皇太子にした。1353年のことだ。
奇皇后の影響力は絶大だった。
彼女の存在感が大きかったので、元では高麗王朝の文化や風習が広まっていった。なにしろ、元の高官の多くが、高麗王朝の衣服を身にまとった。
さらには、高麗女性を妻に迎えることが誇らしい結婚にまでなった。
こうなると、奇皇后の権力は、高麗王朝も大きく動かせる。なにしろ、高麗王朝は元の言いなりだったからだ。
元は奇皇后の父の奇子敖(キ・ジャオ)を栄安王(ヨンアンワン)として追尊し、さらに先祖3代までさかのぼって王の称号を与えた。
これだけではない。
奇皇后の兄である奇轍(キ・チョル)は大出世を果たして、高麗王朝の王族に列せられるようになった。
まさに破格の待遇である。
こうして、奇皇后の後ろ楯を得た奇一族は高麗王朝で絶大な権力を握った。
奇皇后と一族は「我が世の春」を謳歌した。
長くは続かなかったのだが。
文=康 熙奉(カン ヒボン)