イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった!(再読版)

 

李芳遠(イ・バンウォン)は、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男だった。もともと、李成桂には13人の子供がいたが、そのうち男子は8人だった。最初の夫人は神懿(シンイ)王后。李成桂が出世する前から夫を支え続けたが、1391年に54歳で亡くなっている。李成桂が王となる1年前のことだ。

不可解な後継ぎ問題

李成桂は神懿王后との間に6男2女をもうけている。男子は上から、芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)の6人である。
李成桂の二番目の夫人は神徳(シンドク)王后。彼女は神懿王后に比べるとはるかに有力な家柄の出身であり、その権勢は李成桂にも大きな影響を与えている。




李成桂と神徳王后の間には芳蕃(バンボン)、芳碩(バンソク)という2人の男子がいて、李成桂は即位したあと後継ぎとしてわずか10歳の芳碩を指名した。
当然ながら、神懿王后の息子たちの反感は大きかった。
長男の芳雨は朝鮮王朝開国の翌年である1393年に39歳で死去していたが、野心家の李芳遠は25歳で血気盛んだった。それにしても、李成桂はなぜ10歳の芳碩を後継ぎにしたのか。
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