なぜ離縁を?
晋城大君はクーデターに反対しました。
「兄を追放して王になれば、世間からなんと言われるかわからない」
そう言って晋城大君は即位することを拒否します。それでも説得されて最後にようやく承諾し、クーデターの成功後に彼は11代王・中宗(チュンジョン)になります。
王宮を追われた燕山君は島流しとなり、わずか2カ月で病死してしまいます。
あまりにあっけない死。果たして何があったのでしょうか。一応は病死と伝えられていますが……。
一方、中宗は周囲にかつがれて王になったので、クーデターを成功させた人たちに頭があがりません。結果的に、自立性に乏しい王でした。高官たちは中宗に対して「妻の端敬(タンギョン)王后を離縁してほしい」と迫ります。
理由は、端敬王后が燕山君の妻の姪であり、父親も燕山君の側近だったからです。このように、端敬王后の親戚には燕山君と関係が深い人が多かったのです。
中宗は承服できません。
「勘違いして自決しようとしたときに助けてくれた愛妻と、なぜ別れなければいけないのか」
そんな心境だったことでしょう。
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『七日の王妃』で対立!燕山君(ヨンサングン)と晋城大君(チンソンデグン)
解説!燕山君(ヨンサングン)の廃位と中宗(チュンジョン)の即位