毒殺される可能性
正祖が即位したのは1776年だが、それ以降にも暗殺団が王宮に忍び込んでくることがあった。
国家として尋常な姿ではなかった。政権内部がいかに混乱しているかを象徴するような事態とも言えた。
「なんとしても改革を実行しなければならない。そうでなければ、党争に明け暮れている間に王朝が崩壊してしまう」
危機感をもった正祖は、大胆な改革に乗り出した。彼がめざしたのは、党争とは無縁の新興勢力を育成することだった。
しかし、それは当時の主流派閥であった老論派(ノロンパ)を大いに警戒させる結果を生んだ。
それだけ、正祖が毒殺される可能性が高まったのである。(ページ3に続く)
朝鮮王朝実録を読む4/「正祖毒殺疑惑」
英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8
英祖(ヨンジョ)は思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めるとき何を語ったか