1680年の秋、19代王・粛宗(スクチョン)は女官だった張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に目を見張った。この年には粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなっているが、粛宗の心はすでに張禧嬪しか見えていなかった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳だった。
宮中を追われた張禧嬪
粛宗(スクチョン)の母の明聖(ミョンソン)王后は、張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に隠された野心を絶対に見逃さなかった。
「あの女は何か良からぬことを考えている。宮中にこのままいさせてはならぬ」
明聖王后は、粛宗が張禧嬪に夢中になっていることが我慢できなかった。我が子の将来を憂い、その元凶となりそうな芽は早めに摘んでおきたいと考えた。
彼女はすぐに手を回して、張禧嬪を宮中から追い出した。王として君臨する粛宗も、母の強い意志には逆らえなかった。
しかし、1681年に粛宗の継妃となった仁顕(イニョン)王后は、あまりに人が良すぎた。正妻でありながら、王が寵愛する女性が宮中を追われたことに同情したのだ。
「殿下に気に入られている女官が長く宮中にいないのはいかがなものでしょうか。再び呼んでさしあげたら……」
仁顕王后は明聖王后にそう進言した。(ページ2に続く)
「朝鮮王朝三大悪女」よりもっと強烈な悪女とは?
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか