クーデターが起こる/光海君物語3

 

仁穆(インモク)王后は、形の上では光海君の母親になります。大妃(テビ)という朝廷の最長老なのです。朝鮮王朝は儒教を国の教えにしていたので、長幼の序を厳格に守り、親行こそが最高の徳目でした。

写真=韓国MBC『華政』公式サイトより




首謀者は?

王といえども、大妃に対しては大変な尊敬を払わなければなりませんでした。
しかし、大北派は仁穆王后の大妃の資格も剥奪し、西宮に長く幽閉しました。こうした非道な行ないが後に糾弾されます。1623年にクーデターが起こり、光海君は王宮から追放されてしまうのです。
クーデターの首謀者は綾陽君(ヌンヤングン)。彼は16代王・仁祖(インジョ)として即位します。
仁祖は、宣祖の五男である定遠君(チョンウォングン)の息子で、弟が綾昌君(ヌンチャングン)でした。
その綾昌君が、光海君の王位を脅かそうとした罪に問われて死罪になっており、弟を殺されたという個人的な恨みがありました。
臨海君や永昌大君にしても、骨肉の争いの末に殺されており、光海君と大北派に恨みを持っている人は多かったのです。




そうした恨みをうまく吸い上げて仁祖はクーデターを成功させました。以後、王宮を追放された光海君は、仁祖の意図によって「最悪の暴君」に仕立てあげられました。暴君といえば、10代王・燕山君(ヨンサングン)があまりに悪名が高いのですが、光海君も同様だというわけです。
近年になって歴史の研究が進むと、光海君は暴君ではなくて、むしろ名君であったという声が起こってきます。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

激しい後継者争い/光海君物語1

15代王として即位/光海君物語2

外交政策の選択/光海君物語4

大同法の実施/光海君物語5

仁穆王后の恨み/光海君物語6




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