朝鮮王朝時代を描いた韓国時代劇を見ていると、ひんぱんに出てくる官庁の1つが捕盗庁(ポドチョン)だ。この役所は、果たして何をするところなのだろうか。
犯罪人を捕まえる官庁
朝鮮王朝の官庁制度によると、現在の警察組織のような任務を帯びていた役所には、刑曹(ヒョンジョ/法務や刑罰を担当)、義禁府(ウィグムブ/王命に従って罪人を取り調べた)、司憲府(サホンブ/官僚の不正を糾弾したり風紀を守るために活動した)などがあった。
それとは別に、盗賊や犯罪人を捕まえるために、捜査や検挙を主な任務とした官庁が捕盗庁である。
別名では「捕庁(ポチョン)」とも呼ばれた。
正式な官庁として整備されたのは、11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代(1506~1544年)だったと言われている。
捕盗庁が担当していた地域は漢陽(ハニャン/現在のソウル)と京畿道(キョンギド)であった。そういう意味で日本に置き換えれば、捕盗庁は警視庁に該当する存在だったと言えるだろう。
捕盗庁は担当地域を「右」と「左」に分けていた。つまり、右捕盗庁と左捕盗庁があったのである。
役職を見てみよう。
右と左のそれぞれについて、大将(品階は従二品)が1人、従事官(品階は従五品)が3人、部長が4人、無料部長が26人、加設部長が12人という構成になっていた。
捕盗庁の中で、実際に現場で任務に当たっていたのは捕盗軍士(ポドグンサ)と呼ばれる人たちで、彼らは常に都を巡回していた。
捕盗軍士は腰に赤くて太い縄を付けていて、罪人を捕まえたときにはその縄でしばりあげた。
このように、腰に付けた赤い縄が捕盗庁の職員であることを象徴する品だった。
実際、捕盗庁は都の治安を維持するうえで欠かせない官庁であったのだが、時代とともに役割が変化していき、最終的には1894年に左右の捕盗庁が廃止されてしまった。その後は、新しく警務庁という官庁が設立された。
これによって、捕盗庁は歴史的な役割を終えたのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)