21代王の英祖(ヨンジョ)は、27人の王の中で一番長生きした王として知られている。しかし、彼と息子の思悼世子(サドセジャ)の親子関係は険悪だった。いったい2人の間に何があったのだろうか。
米びつに閉じ込められた荘献
英祖の最初の正妻は貞聖(チョンソン)王后だったが、2人の間に子供は生まれなかった。
その一方で、英祖には孝章(ヒョジャン)と荘献(チャンホン)という側室が産んだ息子がいた。しかし、長男の孝章はわずか9歳という若さで亡くなってしまうが、二男の荘献(チャンホン)は、10歳で政治の一部を代行できるほど聡明な息子として成長した。
その際にいくつかの政治を批判してしまい、高官たちから警戒されてしまう。さらに、荘献は酒癖が悪かったうえに、自分の側室を殺してしまうなどの問題を起こしていた。
高官たちは荘献を陥れるために、彼の行動を父親の英祖に何度も報告した。そういった報告が何度もあったことで、英祖もついに我慢の限界が来た。彼は、自分の息子である荘献に対して、自害するように命じた。
一方の荘献は、何度も謝罪を繰り返すだけで自害しようとはしなかったため、英祖は配下の者に命じて米びつを持ってこさせて、息子をその中に閉じ込めた。そして、絶対に米びつを開けることを許さなかった。
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イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は本気で都を水原に移そうとした!