朝鮮王朝の3代王・太宗は、初代王・太祖(テジョ/李成桂〔イ・ソンゲ〕)の五男だった。兄弟同士の骨肉の争いを制して、彼は1400年に朝鮮王朝の3代王として即位し、王朝の基盤を整備した。
異母弟との確執
太祖には8人の息子がいた。
第一夫人の神懿(シンイ)王后から6人の息子、第二夫人の神徳(シンドク)王后から2人の息子が生まれた。
この8人の息子の中で、朝鮮王朝の建国に一番貢献したのが五男の芳遠(パンウォン/後の太宗)であった。
彼は策謀が巧みな武闘派だった。
しかし、太祖は神徳王后との間にできた八男の芳碩(パンソク)を溺愛して、まだ10歳だったのに世子(セジャ/正式な後継者)に指名した。
芳遠は怒った。実の兄たちならば許せるが、まだ幼い異母弟が世子になることは絶対に容認できなかった。
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李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)となっても継母を恨んだ
李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)になって何をしたのか?
イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった!
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