朝鮮王朝では権力を握った側にも悪女がいたが、特に腐敗政治の元凶になったのが2人の王妃だった。この2人は、未成年の王の代理として政治を仕切ることができたので、本当にやりたい放題で政治を乱した。
毒殺説の首謀者
最初に取り上げるのが貞純(チョンスン)王后だ。
21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正妻だったが、彼女は英祖より年齢が51歳も年下だった。
なにしろ、英祖の息子であった思悼(サド)世子が10歳上なのである。ところが、相性が悪かったこともあり、思悼世子の失脚をはかって陰で動いた。
結局、思悼世子は米びつの中で餓死した。
貞純王后は、22代王・正祖(チョンジョ)の時代になって辛うじて罪をのがれたが、1800年に正祖が亡くなったときは毒殺説の首謀者と見なされた。
正祖の後を10歳の純祖(スンジョ)が継ぐと、貞純王后は未成年の王の後見人となり、キリスト教徒の大虐殺事件を引き起こしている。
その理由は、政敵にキリスト教徒が多かった、ということだった。その悪政のせいで、多くの人が命を奪われた。
一方、文定(ムンジョン)王后の場合も本当に巨悪だ。
彼女は11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正妻である。
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