朝鮮王朝の王妃の中で不運にも「廃妃」になったのは誰?

対照的な廃妃

王の寵愛を失って離縁させられたのが、9代王・成宗(ソンジョン)の二番目の正妻だった廃妃・尹(ユン)氏と、19代王・粛宗(スクチョン)の二番目の正妻だった仁顕(イニョン)王后だ。
しかし、2人の廃妃後の運命は決定的に違う。
尹氏は廃妃のあとに死罪になっている。
それに対し、仁顕王后は劇的な形で再び王妃に復帰した。
なぜ、それが可能だったのか。
仁顕王后が復帰できたのは人徳があったことも関係している。




彼女は廃妃になって実家に戻った際も、「私は罪人だから」という理由で離れの粗末な小屋で暮らしたと言い伝えられている。
その謙虚な生き方が後に粛宗の気持ちを改めて動かし、彼女は王妃に復帰できたのかもしれない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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