12代王・仁宗(インジョン)/朝鮮王朝国王列伝12

 

生没年/1515年~1545年
在位/1544年~1545年

仁宗(インジョン)の治世は27人の王の中で最も短い。わずか8カ月にすぎないのだ。それでも彼は名君と呼ばれた。それは、親孝行をして儒教の教えを徹底的に守ったからだ。しかも、禁欲的な生活をずっと続けており、宮中では彼にならって規則正しい生活が行なわれるようになった。

孝行心の強かった王

仁宗はもともと、物心がつく前に母親をなくし、中宗(チュンジョン)の三番目の正室である文定(ムンジョン)王后に育てられた。しかし、彼女も中宗との間に息子・慶源(キョンウォン)を授かっていた。実の息子を王にするためには、仁宗の存在が邪魔になった。そこで、文定王后はことあるごとに仁宗の命を狙った。
仁宗はそのことに頭を悩ませた。孝行心の強い彼は義母の願いを叶えるため、慶源が後継者になれるように、自ら子供を作ることをしなかった。
そんな中で、仁宗は徐々に体調を悪くしていく。一説には、仁宗を疎ましく思った文定王后が毒を盛ったとも言われている。




1545年、仁宗は30歳の若さで病死した。そして、慶源が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。そのとき、文定王后は何かと難癖をつけて、仁宗の葬儀を冷遇した。この出来事によって、文定王后は後世でも評判が悪い。

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