母親同士はライバル
「朝鮮王朝実録」が記した景宗の説明がさらに続いている。
「憂いが積もって病を得て、それがつらくなるにつれて国を治めることに専念できず、御前会議でも一貫して沈黙し、政治を臣下たちにまかせた。それでも、お亡くなりになられた日には臣下や民衆の間で嘆き悲しまない人がいないほどであった。誰もが哀悼し、慕い、敬っていたのだ」
このように「朝鮮王朝実録」が記すほど、景宗は人格がとても良かった。
結局、景宗には子供がいなかったので、次の王位は異母弟が継いだ。それが21代王の英祖(ヨンジョ)である。
張禧嬪の息子であった景宗と、淑嬪・崔氏が産んだ英祖……。
母親同士は宿命のライバルであったが、そういう確執を乗り越えて、英祖は異母兄の景宗のおかげで国王になることができたのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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