首陽大君(スヤンデグン)が端宗(タンジョン)を退位させて世祖(セジョ)になった!

 

ついに端宗は決心せざるをえなかった。彼は、自分の王位を狙う叔父の首陽大君(スヤンデグン)から強力な圧力を受けてきたが、1455年閏6月、ついに王位を首陽大君に譲ると発表したのであった。




世祖が即位

正史の「朝鮮王朝実録」の中にある「世祖実録」によると、首陽大君が泣きながら強く辞退したと記されている。しかし、野史(民間で伝承される歴史書)では次のように書かれている。
「首陽大君が夜、袖に鉄槌を入れて端宗を訪ねると、端宗は玉座から飛び降りて、王位は余の願うものではないと言った」
端宗が譲位を発表すると、その日のうちに首陽大君が服飾を整えて王位に上がった。そういう事実を見ると、「世祖実録」は首陽大君が自分で書いたものだと言っても過言ではないだろう。それに比べると、野史のほうがもっと信頼できそうだ。
また、野史には、当時の承旨(スンジ/王の秘書官) だった成三問(ソン・サムムン)が、玉璽(王の証となる印鑑)を持って来たが到底渡せないと泣いているのを首陽大君がにらみつけた、という記述もあった。結局、端宗が成三問から玉璽を直接受け取って首陽大君に渡したという。




それで終わりだった。すでに大臣のほとんどは首陽大君の側の人だった。何回か形式的な反対と拒否があったのち、結局はそのまま即位式になった。首陽大君はついに夢見ていた、そして、そのために多くの人の尊い血を流した王座に上がったのだ。ここに、7代王・世祖(セジョ)が誕生したのだ。
世祖は端宗を上王にまつりあげた。上王になった端宗は、正宮の景福宮(キョンボックン)を世祖に譲り渡して離宮に移った。王の権限も義務もなくした、ただの飾りものになってしまったのだ。
月に1回くらい世祖が挨拶に参ったりしたが、それは民心を安定させるための儀式にすぎなかった。すでに世祖に何回もだまされてきた端宗は不安で仕方がなかった。そんな不安の中で時間が流れた。
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