安平大君(アンピョンデグン)と対立した首陽大君(スヤンデグン)は何をしたか?

 

1452年5月、5代王の文宗(ムンジョン)は自分の死期に気づき始めたが、まだ11歳の長男の行く末がとても心配だった。そこで、金宗瑞(キム・ジョンソ)や皇甫仁(ファンボ・イン)という重臣たちを呼びだし、一つの願いを託した。




幼い王が即位

文宗は重臣たちに言った。
「余の死後、幼い世子が王になれば、朝廷では大きな混乱が起きるだろう。お前たちで世子をしっかりと補佐し、守ってあげてくれ」
これがいわば遺言となった。
文宗は即位して2年あまりで世を去った。残された長男は6代王・端宗(タンジョン)として即位するが、その王位は決して安泰とはならなかった。
実際、11歳の端宗が王になることに、首陽大君(スヤンデグン/文宗の弟)や多くの高官たちから不満の声があがった。
しかし、文宗の側近たちはそうした声を力づくで抑えようとした。幼く力のない端宗はそうした争いをただ見ていることしかできなかった。
本来、朝鮮王朝では国王が未成年の場合は、その生母が代理で王政を行なうことになっていた。しかし、端宗の母である顕徳(ヒョンドク)王后がすでに亡くなっていたために、その役割は文宗の遺言を受けた重臣たちに任された。




二大勢力の対立

端宗が親政(自ら政治を仕切ること)を行なえるようになるまでには7年から8年はかかる。
それだけの長い間、王宮の内部で対立が激化すると思われた。
その対立をあおったのが首陽大君だった。彼は文宗の側近だった金宗瑞や皇甫仁の失脚を画策するようになった。
一方、なんとしても端宗を守りたい金宗瑞や皇甫仁が頼りにしたのが、世宗の三男だった安平大君(アンビョンデグン)だった。この安平大君は、世宗の二男である首陽大君の実弟で1歳だけ年下だった。
しかし、この兄弟の性格は正反対だった。首陽大君は武芸を好む武闘派だが、安平大君は学問を好む芸術派だった。
金宗瑞や皇甫仁たちは、首陽大君を牽制する戦略の一つとして、安平大君に近づいた。安平大君も兄の首陽大君に批判的で、端宗の王位を守る決意を固めた。こうして王族内では、首陽大君派と安平大君派の二大勢力ができてしまった。




しかし、高名な学者や大臣たちを取りこんでいた安平大君に世論は味方していく。首陽大君はあせったが、側近である韓明澮(ハン・ミョンフェ)の見解は違った。
「今の混乱した情勢では世の中の評判を勝ち取るよりも、武力を集め、いつか来る戦いの日にそなえるべきです」
(ページ2に続く)

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