中宗(チュンジョン)が端敬(タンギョン)王后を離縁した理由は?

会えなかった二人

端敬王后は中宗の嘆きを噂で知った。
端敬王后は、家の裏の岩山に、かつて自分が身につけていた赤いチマ(スカート)を干した。
それは、元気に暮らしていることを中宗に知らせるためだった。
この逸話は「赤いチマ岩の伝説」と呼ばれ、韓国でも夫婦愛をあらわす際によく使われている。




中宗が端敬王后を離縁したのは1506年で、それから38年後の1544年に中宗は危篤に陥った。
このとき、端敬王后は中宗を見舞おうとした。実際、王宮の正門まで駆けつけている。しかし、面会は許されなかった。
中宗は1544年に世を去り、その13年後に端敬王后も亡くなった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

中宗と端敬王后について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著〔実業之日本社/900円+税〕)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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