光海君(クァンヘグン)の正体!朝鮮王朝15代王の功罪(再読版)

一番やってはいけないこと

大同法は、庶民にとっては間違いなく善政であった。
この法律を積極的に進めようとした光海君は、名君と呼ばれても不思議はなかった。
ただ、地主を始めとする特権階級には増税となり、その点で光海君が恨みを買ったのは事実である。
結局、光海君は兄弟と血なまぐさい骨肉の争いを起こしたという意味での「罪」があり、逆に、政治的に業績をあげたという「功」がある。




ただ、彼が一番やってはいけなかったことは、宣祖の二番目の正室であった仁穆王后を幽閉して、大妃(テビ/王の母)の立場を取り消してしまったことである。
朝鮮王朝の中で、国王が大妃の身分を剥奪したことは一度もなかった。儒教を国教としている以上は、これは絶対にやってはいけないことだった。
それを光海君はやってしまった。
それを名目にして彼はクーデターを起こされたわけであり、その点で光海君が廃位になったのもやむをえない。

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