光海君(クァンヘグン)の正体!朝鮮王朝15代王の功罪(再読版)

政治的な業績

王座を守るためとはいえ、兄弟の命を奪ったのはあまりにも非道であった。
しかし、朝鮮王朝の歴史を見ると、親族を殺して王位を守った人物は何人もいる。
3代王・太宗(テジョン)も弟たち2人を殺害しているし、7代王・世祖(セジョ)は甥から王座を奪って自害に追い込んだうえに、弟たちの命も奪っている。
つまり、朝鮮王朝の歴史というのは王家の争いの結果でもあったわけで、その点では光海君だけが責められるわけではない。




しかも、太宗と世祖は実力を持った大王として業績を残しており、光海君もそれに続くことはできたはずである。
実際、光海君は政治的に大きな業績をいくつも残している。
外交面では、強大な後金の侵略を防ぐために、巧みな立ち回りで後金との関係をうまく保っていた。
これによって、朝鮮半島は後金の侵略を防ぐことができていた。
また、庶民の減税につながる大同法を首都の周辺から実施して、後には全国に拡大するつもりであった。
(ページ3に続く)

外交が巧みだった光海君(クァンヘグン)は暴君というよりも名君?

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