時代劇『善徳女王』の大ヒットで注目された新羅の三人の女王!

背丈は七尺

ドラマの大ヒットのおかげで歴史上の善徳女王も「新羅史上初の女帝」と脚光を浴びるに至ったが、新羅という国は後の高麗王朝や朝鮮王朝と違って女性も王位に就ける国家だった。
善徳女王のあとにも二人の女王が出ている。
新羅で二人目の女王は、善徳女王の後を継いだ真徳(チンドク)女王で、在位は647年から654年までだった。善徳女王から見れば、祖母の弟の娘であった。名は勝曼(スンマン)と言った。
「背丈は七尺もあって手が膝の下まで届いた」と言われているが、ちょっと信じがたい。身長が2メートルを楽に越える大女ということになってしまう。1300年以上も前の時代にそんな女性が果たしていたのか……。




記録によると、649年に初めて中国の衣冠を用いたとなっている。当時の新羅は百済と高句麗を討つために唐に連合を呼びかけていた。ぜひとも唐の協力を得たくて、衣冠を中国式にしたものと思われる。いわばご機嫌をとるためであったが、それだけでなく、オシャレで外国のファッションを試してみたかったのかもしれない。
真徳女王が亡くなったのは654年。わずか7年の在位であったが、唐と緊密に連携をとり、その後の三国統一の基盤をつくったと評価を受けている。
(ページ3に続く)

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