尊号を受けられなかった
柳氏は傲慢な女性であったが、自分たちの敗北を認め、死を選ぶことで恥の上塗りを避けようとした。
しかし、光海君は応じなかった。
彼は廃位になっても生に未練がありすぎた。
それは、悲劇の連鎖という運命を招いた。江華島に着いたあと、息子夫婦は逃亡を画策したことが発覚して自決した。
この出来事は柳氏に最後の決断を促した。彼女は息子の後を追うように首をくくって死んだ(病死したという説もある)。
その後も光海君は生きて、柳氏の死から18年後に66歳で世を去った。
今でも柳氏を語るときに廃妃(ペビ)という呼称がつきまとう。罪人として死んだために尊号を受けられず、他にたいした呼び方がないためだ。
それは、なんと不名誉なことであろうか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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