張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期!ドラマと史実はどう違うのか

 

宮女から王妃まで上りつめ、宮中のシンデレラとなった張禧嬪だが、傲慢なふるまいが彼女を転落させた。王妃から側室に降格となった張禧嬪は、復位した仁顕王后(イニョンワンフ)が亡くなると、彼女を呪う儀式をしていた嫌疑をかけられ、ついに死罪を命じられる。その告発をしたのは、粛宗(スクチョン)の寵愛を一身に受けたトンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)であった。

張禧嬪の罪

ときは1700年。
粛宗の正室だった仁顕王后は病に倒れた。彼女はからだに腫れ物ができて激痛に苦しんだ末に亡くなった。
仁顕王后の死に多くの人が涙した。
中でも仁顕王后に目をかけてもらっていた淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の悲しみは大きかった。




義憤にかられた彼女は、粛宗に張禧嬪の悪行をすべて報告した。そこには粛宗が知らなかった事実も多くあった。
中でも、張禧嬪が自室に神堂を建てて仁顕王后に呪術をかけていたことが粛宗の逆鱗に触れた。
こうして粛宗は張禧嬪を厳罰に処すことに決め、死罪とする命令を下す。
しかし、粛宗のこの決断に多くの臣下が反対した。張禧嬪はいまだ世子(セジャ)の母だったからだ。(ページ2に続く)

奇妙な三角関係!粛宗(スクチョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)と仁顕王后

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