「トンイ」こと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の怪しい正体!

 

張禧嬪(チャン・ヒビン)の最大のライバルとなった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)。ドラマ『トンイ』の主人公になった女性だ。この淑嬪・崔氏と粛宗はどのような経緯で出会うようになったのだろうか(淑嬪・崔氏については、韓国時代劇の史実とフィクションの違いを解説した康熙奉〔カン・ヒボン〕著・実業之日本社発行の『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』で紹介しています)。

謎めいた女性

淑嬪・崔氏が王宮に入ったきっかけについては諸説がある。
最初の説は、1675年、7歳のときにムスリ(王宮内の下働きをする身分の低い人)として入宮したというもの。彼女の息子で後に21代王となった英祖(ヨンジョ)が建てた石碑に書かれていることだ。
2つ目の説は、1681年、仁顕(イニョン)王后が粛宗の継妃になったときに侍女として入宮したというものだ。彼女は疫病で両親をなくした孤児だったが、仁顕王后の遠縁の女性に保護され、成人して仁顕王后に仕えたという。




3つ目の説は信じがたい内容だ。賤民(チョンミン/最下層の身分)出身の既婚者で、生活のためにムスリになったというもの。王宮で働く女官は未婚が原則で、入宮すれば女官をやめるまで王宮の外には出られない。しかし、ムスリは既婚者でもなることができた。その説に従うと、英祖には父が違う兄が2人いて、粛宗の息子でもないという。そうした噂に英祖はとても悩まされたそうだ。
以上のような諸説があるほど、淑嬪・崔氏は謎めいた女性だ。ただし、諸説すべてに共通しているのは、彼女がムスリであったということ。それは間違いないであろう。だとすると、淑嬪・崔氏はどうやって王に近づいたのだろうか(ページ2に続く)。

『トンイ』でおなじみの淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)!朝鮮王朝王妃側室物語12

奇妙な三角関係!粛宗(スクチョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)と仁顕王后

張禧嬪(チャン・ヒビン)の正体!謎多き魔性の女

張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期!ドラマと史実はどう違うのか

張禧嬪(チャン・ヒビン)の人生!なぜ悪女と呼ばれるようになったのか




ページ:

1

2

関連記事

ページ上部へ戻る