悲劇の王
仁宗ほど親孝行だった王はいなかった。
しかし、継母の文定王后はまるで違う反応を示した。なんと、仁宗の祭祀を信じられないほどに軽視したのである。
「1年も王位にいなかったのだから、今までの慣例を踏襲するわけにはいかない」
なんと冷たい言葉なのだろうか。
血も涙もないような対応だった。
実際、仁宗の葬儀は王にふさわしくないほど簡略化されてしまった。さらに服喪期間も短縮となり、仁宗の陵墓も格下の扱いとなった。
そこまで仁宗を貶めた文定王后は、すかさず自分が産んだ王子を次の王位に就かせた。それが13代王の明宗(ミョンジョン)だった。
実は、仁宗は異母弟に王位を継がせるために自分の子供をつくらなかったと言われている。そんな慈愛の精神に満ちた仁宗が後世から「悲劇の王」と思われているのは、短すぎる在位期間だけがその理由ではない。
あまりに冷酷な継母を持たざるをえなかったことが仁宗にとって無念であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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