都を捨てて逃げた元
落ち目の奇皇后だったが、事態が急転した。
トゴン・テムルの正室だったバヤン・フトゥクが亡くなり、側室だった奇皇后が念願の皇后になった。
それは、つかのまの皇后であった。
すでに、中国の各地で漢民族による反乱が勢いを増し、1368年には新たに「明」が建国された。
元は明の怒濤の攻撃を防ぎきれず、皇室がモンゴル高原まで逃げて、そこで新たに「北元」を名乗った。
この北元の皇帝となったのが奇皇后の息子のアユルシリダラだ。
すでにトゴン・テムルは逃避行の際に命を落としていた。
「息子が皇帝になる」
悲願を成就した奇皇后はどうなったのか。
彼女もまた、元が逃げたときに行方がわからなくなっていた。
果たして、奇皇后の最期はどのようなものだったのか。
歴史上から彼女の存在が抹殺されてしまった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)